大磯駅すぐ 戦災孤児の母「澤田美喜記念館」で歴史を学ぶ

澤田美喜という名前の方をご存じの方はどの位いらっしゃるのでしょうか。
1978.7.12にNTVのドキュメンタリー番組「~サンダースホームの1600人~」が放送されましたが46年前の話でご覧になった方も少ないと想像します。

終戦から79年経ち当時の実情を知る人も少なくなりました。戦後の混乱期に自らの使命感を感じて戦災孤児の救済に当たった澤田美喜さんの人生と、彼女が心血を注いで集めた隠れキリシタンの遺物を展示する記念館が大磯駅前にありますのでご紹介させていただきます。

大磯駅改札口から入口の門柱が見えます

大磯駅の改札口を出ると、斜め右方向に年代物の石垣と観音開きの立派な門が見えます。

ここはもともと三菱財閥創始者岩崎彌太郎の長男久彌氏の大磯別邸でした。数々の紆余曲折を経て、この土地に戦後の民間初の戦災孤児救済施設エリザベス・サンダース・ホームが開設される事になります。

何故自分に縁もゆかりもない戦災孤児を救う為に澤田美喜女史が立ち上がったのか、その経緯をたどってみようと思います。

澤田美喜の生い立ちと「無償の奉仕」の目覚め

門を入ったエントランスの広場に澤田美喜女史の肖像があります。

後述する週2回の開館日に限って一般参観者が敷地内に入る事が出来ます。限られた人数で身寄りのない幼児や児童生徒の生活のケアと安全を守っている施設ですので、プライバシーとセキュリティの保護の上では当然の措置と考えます。どうぞご理解の程よろしくお願い致します。

澤田美喜女史は1901年に三菱財閥創始者岩崎彌太郎の長男久彌氏の長女として誕生しました。外交官の澤田廉三氏に嫁ぎ、ロンドン駐在中に孤児院でボランティアを体験して奉仕の精神を学んだといわれています。

そして戦後日本人とアメリカ軍人の間に生まれたGIベビーの悲惨な状況を目の当たりにして、彼女の決意が固まります。

戦後の財閥解体で財産税として物納されていた大磯の別荘を苦労して買い戻しました。三井家の養育係だったエリザベス・サンダース女史が遺贈した$170が美喜女史の友人ポール・ラッシュ氏の仲介によりホームの設立資金の一部として贈られます。
その他私財を投げ打って資金を捻出して、遺贈への感謝の意を込めて1948年2月1日にエリザベス・サンダース・ホームが誕生します。

その後ホームは養護施設から社会福祉法人へと発展して1953年には小学校、1959年には中学校も開校します。

1969年からTBS系列で放映された「サインはV」の中にジュン・サンダースという混血の女性のバレーボーラーの役柄がありましたが、彼女の出身が「神奈川県サンダースホーム」という設定になっており、これこそエリザベス・サンダース・ホームが起源になっていました。

平和の鐘が大磯の高台から鳴り響く時もあります

肖像の裏手の階段を上がると鐘楼があります。各種記念式典の際に鐘を鳴らすそうです。

鐘楼をくぐると澤田美喜記念館です

館内に入るとまず澤田美喜女史が外交官澤田廉三氏と結婚してから施設での奉仕活動に目覚め、紆余曲折を経て自身の施設を立ち上げる迄の歴史が展示されております。

澤田美喜女史の長年の奉仕活動に対して内閣総理大臣より表彰されました。

エリザベス・サンダース・ホーム創立当初の看板も保管されています。

一見仏像に見える隠れキリシタンのマリア観音立像

仏像の体内にイエス・キリストが祀られています。

現在のエリザベス・サンダース・ホームは非公開となっています

このトンネルの向こうにエリザベス・サンダース・ホームがあります。
戦後の混乱期はこのトンネルの入口に身寄りのない乳飲み子が置いて行かれたそうです。

記念館の公開は3月~12月の金曜、土曜となっておりますが、館内の展示品入替により長期休館することもございます。事前に公式ホームページをご確認お願い致します。

澤田美喜記念館
住所:神奈川県中郡大磯町大磯1152番地
アクセス:JR東海道線「大磯駅」から徒歩約1分
公開日:原則として3月から12月の金曜、土曜(公式ホームページをご確認ください)
開館時間:10時から12時/13時から15時
電話番号:0463-61-4888

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。