戦後日本の歴史の集大成!?大磯城山公園内「旧吉田茂邸」

みなさんは吉田茂氏をご存じでしょうか?平成生まれの方は、もしかしたら知らない方も多いかもしれませんね。亡くなって57年、安倍元総理までは日本の首相で唯一国葬が行われた方でした。

戦後の日本の復興の歴史そのものともいえる吉田茂氏の大磯の邸宅は、現役の首相時代から引退後にいたるまで国内外の要人が訪れる公邸のような役目も果たしました。歴史散歩のつもりで、ぜひ記事をお読みください。

別荘地を眺めるロケーション

大磯城山公園の、国道1号線の海側の敷地が旧吉田茂邸となっています。大磯駅からバスで10分の城山公園前バス停で降りて坂を下った左側が入口です。その奥に門が見えます。

明治維新以降の要人たちの別荘が眺められる場所です。

門をくぐると美しい庭が目に飛び込んで来ます。

ふと目を右にそらすと「七賢堂」が見えます。伊藤博文の大磯の邸宅「滄浪閣」から移転されたもので岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂が祀られていました。

七賢堂の奥には竹林が生い茂り、春にはタケノコが自生します。

庭を抜けて玄関に上がるとガラス越しに中庭が見えます。この竹は「四方竹」(しほうちく)と呼ばれる断面が四角の竹で、吉田氏の故郷高知では食用にもされると聞きました。

断面が四角の竹は珍しいと思います。

それでは順路に沿ってご案内いたします。

各国要人を迎えた談話室「楓の間」

玄関のすぐ右側は、元々吉田氏自身の執務棟でした。客人を迎えた「楓の間」は談話室として設計されたものだそうです。吉田氏の没後も1979年当時の大平総理がカーター大統領とこの場所で日米首脳会談を行いました。

2階は吉田氏の書斎として使用されていました

陽当たりと眺めの良い和室です。
部屋の隅にある棚の扉の奥には、受話器を取るだけで繋がる首相官邸とのホットラインが設置されていました。現在はガラスケースに複製品が展示されています。

書斎に隣接する浴室には、当時は珍しい舟型のオーダーメイドの浴槽がありました。

こちらは、5回も総理を務めた吉田氏の邸宅ならではの設備である「脱出口」です。しかし非常時に他人の介助なしでこの梯子を降りることができたかは若干疑問に思いますね…。

焼失前の吉田邸の姿を唯一残すサンルーム

書斎の廊下から見えるサンルームは、火災の焼失に遭わずに残った建物です。往時は現在の上皇
様も利用されましたが、現在は残念ながら立入禁止となっています。

後でご紹介する食堂(ローズルーム)とは渡り廊下で繋がっていました。吉田氏はここで接客することもあったと聞きました。

コーヒーか紅茶を召し上がってくつろがれているご様子ですね。

再び1階に降りた所が食堂の「ローズルーム」です

この広さですからかなりの人数をもてなすことができたのでしょうね。
スタジオのような壁面は子羊の革で、一枚につき一頭使用したので約230頭もの子羊が使われたそうです。またこの壁は1枚につき約1万円で、当時のサラリーマンの初任給と同じくらいの値段でした。
壁面内にはさらに吸音材を入れて、食器やカトラリーの接触音を耳障りのない音にする配慮がされているそうです。

この部屋の手前に展示休憩室があり、9/29まで「吉田茂とバカヤロー解散」が特集されています。実際は小声でバカヤローと呟いたのをマイクが拾って大騒ぎになったと聞いた記憶があります。

新館の2階が応接室として利用された「金の間」

部屋の装飾に金を用いたといっても、言われなければわからない程度の控えめさは、戦後日本の外交の姿勢なのか、英国仕込みの吉田氏のマナーなのかは不明です。「金の間」と聞いて秀吉の大阪城をイメージした私はいい意味で期待を裏切られました。

吉田氏はこの部屋から見える富士山がとても好きで、毎日のように眺めていたそうです。

本来は賓客の宿泊室だったそうです

予想に反して泊まる人がいなかったため、ここを自分の寝室にしたそうです。
寝室に隣接する風呂は、公務を離れてからはこちらを多用したとのことです。

ベッドの横に机が置いてあるのは、公務を離れて足の状態が思わしくなくなってからはベッドからの移動距離を少なくしたかったのでしょうか。ホットラインも不要になったのでしょう。
未公開のため写真はありませんが寝室にも脱出口が設けられていました。

こちらはごく普通の浴槽の形です。やっぱり使い慣れた形に戻るのかも知れませんね。

足が不自由になってから階段はさぞつらかっただろうと想像しました。階段のステップの幅は広くて、傾斜は緩く設計されていました。当時は個人宅用エレベーターはないと思っていたのですが、焼失後の検証で何とエレベーターの設置を予定した跡が発見されたとのことで、再建時に再現されたのが下の写真です。格子の間からその名残が見えます。

吉田邸建設から現在まで

元々は吉田茂氏の養父が土地を購入し建てた別荘を1945年頃から本宅として使用していました。
応接間棟の増築は1947年頃との話です。そして1961年から自宅を迎賓館のように使用するために大幅な増改築が行われました。

しかし2009年にサンルームを除く母屋のほとんどが焼失して、再建工事が完了したのが2016年でした。可能な限り往時の状態を再現させたそうです。

当時の談話室でくつろぐ様子が写真に残されています。

現在の上皇ご夫妻も訪れています。

展示休憩室の外には吉田氏が好んだ葉巻型のベンチが置かれています。

散逸な文章かも知れませんが、皆様がお越しになる際の順路に沿ってご説明差し上げました。
新緑もきれいですが秋の紅葉シーズンも素晴らしい表情を見せてくれます。

特に、戦後の歴史に興味がない方にも楽しんでいただける要素の多い吉田茂邸です。
湘南にお越しの際はぜひ足を延ばしてお訪ねください。

旧吉田茂邸
住所:神奈川県中郡大磯町西小磯418 県立大磯城山公園内
アクセス:JR東海道線「大磯駅」からバス約10分
     「城山公園前」下車徒歩約5分
休館日:毎月1日、月曜日、12月29日から1月3日
開館時間:9:00-16:30(入館締切16:00)
電話:0463-61-4777(旧吉田茂邸)
   0463-61-4700(大磯町郷土資料館)

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。