ここ平塚に今から110年以上も前に、「日本火薬製造株式会社」があったことはご存じでしょうか。当然ながら今では町の様子も変わり、平塚市民の方も知らない方がほとんどだそうです。
今回ご紹介するのは、平塚駅北口から徒歩15分の「ひらつか八幡山の洋館」。
こちらの洋館は、火薬工場併設にあたりイギリスの技術者たちが来日し宿舎兼食堂、ホールとして使用された建物です。
5月になると建物の周りをステキなバラが囲むこちらの洋館は、歴史的建造物として国の有形文化財に登録されています。また神奈川県下の数少ない明治期の建物のひとつとのこと。
当時には珍しかった建物の設計はイギリス人
有形文化財とは、建物を活かし文化活動やまちづくり、観光のために活用するため国に対して申請・登録された資産のことです。その登録には、数々の審査基準が設定されています。
国土の歴史的景観に関与しているもの
造形の規範となっているもの
再現することが容易でないもの
また設計士はイギリス人、建設は清水建設だったとのことで、明治38年ころの平塚ではかなり珍しくシンボル的な建物だったそうです。
それぞれの室内はコロニア調で、応接室や食堂に使用されていた部屋があり、総面積は212.8㎡です。コロニア様式とは、植民地時代の伝統的建築様式のひとつ。主に木造建物正面のポーチそして大きな窓とベランダが特徴。
食堂と言っても、調理場でつくられた食事を袴姿の女性たちが給仕し、イギリス技術者をもてなしたそうです。日本になかった火薬工場建設に必要な知識を教わるためだったのだとか。
また2004年に保存維持のために、平塚市が譲り受けこちらの八幡山公園に移築、その5年後に一般公開されたそうです。
ご紹介の通り「文化活動に役立てる」とった部分においては、以前ピアノコンサートにこちらの洋館に訪れたことを思い出しました。
取材日も、大きな広間から合唱のステキな歌声が聞こえていました。
こちらの洋館でおこなわれる文化活動が人気の理由のひとつには、天井が高いことと木造と漆喰による音響効果だそうです。
また音楽を聴きながら、窓からみえる風景もまるで絵葉書のようでしたよ。優雅なひとときになりました。
こちらの部屋は予約すると音楽だけでなく、さまざまな文化活動に使用できるのだそうです。
歴史を学べるボランティアの方によるガイド
訪れた日には、お天気の具合もまずまずだったこともあり、特別にボランティアの方がそれぞれの部屋の特徴などをガイドしてくださいました。
当時火薬工場従業員と関連事業の方々を合わせ約8400名もの方がいたそうです。1945年7月16日に空襲をうけ平塚の市街地の大半が焼失しました。
しかしこの洋館だけは、奇跡的に残ったそうです。また終戦後には、火薬廠(かやくしょう)は、進駐軍に使われるようになったそうです。
「この建物は、関東大震災にも見舞われ、今までに、6回ほど修繕を繰り返しています。現在はボランティアの方たちで保存維持に努めています。平塚には、戦争に必要だった火薬工場がありましたからね」
との説明をうけて、歴史を語り継ぐ意義のようなものを感じました。
洋館の裏手には、大きな平和慰霊塔もありました。
塔は、約60年前に建てられ当時の平塚市長によって建てられたとのことでした。
「今の世界のことを考えても、子どもたちの未来のためにもやっぱり平和な世の中であることが、とても大切ですね」
との言葉には私自身共感しましたし、心にしみました。
お散歩がてら歴史を感じられるスポット
ひときわ緑も多く良い空気があたりを包んでいる「ひらつか八幡山の洋館」の側には、多くの歴史が残る平塚八幡宮も隣接しています。
平塚駅北口からも、お散歩がてら歩くのにちょうどいい距離です。
きっと平塚の見どころは、「七夕まつり」だけではないんだ~と思いますよ。
ぜひお参りがてら、ご家族でもおひとりでも平塚のこれまでの歩みに触れてみてくださいね。
「ひらつか八幡山の洋館」
住所:神奈川県平塚市浅間町1-1八幡山公園内
アクセス:東海道本線「平塚駅」徒歩15分
神奈中バス「市役所前」徒歩1分
電話番号:0463-35-7114
開館時間:9:00~21:30
休館日:月・年末年始
入館料:無料
遊館日:毎月1回(原則第3水曜)全館を開放し、館内をご案内します。